21.まとめ
〜はじめての女インドひとり旅〜

やればなんとかなるもんだ!この一言に尽きる。
2ヶ月放浪の結論。とりあえず、小心者で英語できなくて初めての海外ひとり旅で女でも行けばなんとかなる。だから、インドに興味があるならさっさと行けばいいと思う。危機意識があれば、たぶん、なんとかなる。保証はしない。そもそも保証がなけりゃ旅したくない人はパックツアーにした方がよい。自分で自分を守り通す覚悟は、旅でなくても普段の生活にだって必要だ。そして覚悟はそうと決めれば誰にでも出来る。

予想した軽犯罪には99%出くわしたが重大犯罪はなく帰国できたので万歳だ。ポイントは、神仏に無事を祈願するのと、自分で作った安全ルールを守るという事だろうか。私はインディアン・デンジャラス・タイム(夜7時以降)に気を付けたり、飲酒、ガンジャ、sex、詐欺師など、危険物を意識的に避けた。そうでなくても、年間かなりの外人が行方不明になると聞いていたから”水さかずき”で出国したが、蓋を開けてみれば、安全なはずの日本でたくさんの人が命を失い、インドに行った自分は生きていて、本当に今回ほどこの世は一寸先は闇だと実感した時はない。

インドに行く人はすごい?人格が変わる?
ところで、インドに女ひとり旅というとアグレッシブなイメージがあるかもしれないが、自分はそうじゃない。押しの強いインド人たちには振り回され、40Lの小さめバックパックを背負って、痴漢やスリやぼったくりや詐欺や南京虫や蚊と格闘しつつ歩き、AC付きカフェや2A列車でほっとするような、そんな旅だった。

1人でインドいっちゃう女がみんな、女だてらに豪快で明るくガハハと笑い、南京虫もヤモリも気にせず、物みな値切りたおしながら、身の丈程のバックパックを背に、スリーパークラスの列車で貧民にまみれつつ、ウルルンしちゃうような訳ではないということだ。そんな性格だったら人生楽しそうだけど私は私だ。インドに行けばもれなく『ガンジス川でバタフライ』する性格に脱皮したり、悟りが開いたり、そんなのは幻想である。(そもそもそんな幻想を抱いてる人自体少ないかもしれないが)

インドは神秘的で最高な国?
あと、男の旅人がインドは素晴らしい最高だと手放しに褒める時、ここの厳しい男尊女卑にはあんまり気付いてないんじゃないかと疑ってる。1度目の渡印でも感じたが、やっぱりインドはものすごく男尊女卑で、そうした価値観は程度の差こそあれ外人女性にも例外なく適応されるから、結構不快な思いもした。逆に言えば男性旅行者は居心地が良いのかもしれない。痴漢が凄まじく多い理由もその辺りだろう。土産物の店員まで体を触ってくるから大変だった。男は痴漢されなくて実に気楽だと思う。男がインド旅行するより女がするほうが明らかにハードモードだ。日本人女がインド人男にモテるというのも、単になめられているだけだし。

それでも楽しいインド旅行
それでもインドの女ひとり旅は楽しい!どうしてか。ルーティン生活で生じる出来事とは較べようがないくらい沢山の、良い事、悪い事、意味不明な事が毎日毎日起き続けて、それがすべて心に響いてくるから。喜怒哀楽をこえた部分で無性に面白い。ま、この辺は女関係ないけど。

言うなればそう、かまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」で、”すべてのものがめずらしく、何を見ても何をやっても嬉しいのさ”という歌詞があるが、あの感覚。あれに自動的になれる。イッツ・オートマティック。これはインド旅行に限らず、旅する醍醐味みたいなものだが、インドには日本と強烈に違う部分と懐かしいアジアの部分が同時にあるので尚更グッとくるんだと思う。

並立する現実を腹で感じる
糞尿やゴミまみれの道を歩いている時、ふと、般若心経の一節「不垢不浄(汚なさもなく、清さもなく)」が浮かんできた。コルカタのおじいさんは道端のドブ水でガシガシと頭に石鹸を泡立ててたし、寺院では濁りきった緑の溜池で沐浴してた。日本人の感覚からすればそんな濁り水で洗えば逆に汚れる。でもインド人はきれいになる。同じ行為なのに認識(現実)に差がある。というのも、結局それら全部自分たちが決めて作り出しているにすぎないからだ。

インドの不衛生具合が人間的で日本のクリーンが異常だとかそういう話ではない。インド人がガンジス川で沐浴するのも現実だし、日本人が布巾をハイターに浸けるのも現実で、優劣正否じゃなく、それらが同じ地球上に並立しているのを肌で感じ、腹で分かったという話だ。よく海外出て人生観が変わるというのがあるけど、こういう感覚を指して言うのだと思う。

あと、インド人がカレーを食べる姿もなかなか印象深かった。なんか、味を楽しむとか会話を喜ぶという雰囲気ではなくて、題名を付けるとすればずばり「宿命」。右手で黙々カレーとライスをこねくりまわす顔は哲学者のごとしで、カレーも侵略者も灼熱の太陽もライスも、すべて己の宿命として飲み込む。生まれた途端に職業も食べる物も決められるカースト制度に生きているからか。それとも過酷な暑さと乾燥のせい?とにかく、すべてをこねくりまわしてもみくちゃにして宿命として呑み込む。それがインド人でありインドなのだ。

旅のきっかけは渡辺眸さんが撮影した1枚の写真だった。実際インドに行ってみたら、あの写真のように、死者も生者も土も空気もすべての存在が呑み込まれると同時に許されていた。差別だらけで苛酷な現実にもかかわらず。だから、人々の笑顔にはパワーがあるし、こちらが何を言おうとも、病的に傷ついたり恨みを陰に籠もらしたりせず、元気いっぱい言い返してくる。腹は立つけど、変な気を遣わずに言いたいことが言えるから、信じられないくらいすごく楽だ。生命力が循環する。車もクラクションならしまくるが、誰も気に病んだりしない。

そういう懐の広さゆえに、しゃかりきのバックパッカーも、マハラジャ・ツアーのマダムも、私みたいな小心者の”初心者女ひとり旅”も、それぞれにアーユルベーダやらスリぼったくりやら人情や蚊や何かで受け止めてくれるのだと思う。正直、インド人にはこりごりで、前回と同じく好きにはならなかったけど、インドにまた行きたいかと問われたら迷わず行きたいと答えるだろう。まあ、辛すぎて癖になるカレーみたいなものだ。インドは激辛カレーなのだ。

帰国後のこと
帰国して、約1ヶ月は体調不良が続いた。311の震災・原発事故がなければそこまで悪化しなかったろう。これまで自分が浸りきっていた”現実”という幻想が、あれで決定的に消えた。本当に途方に暮れてしまった。脱原発デモで車道を練り歩いたり部屋で泣いたりしながら、結局、関東を諦めた。移住先を求めて1ヶ月間日本を旅して、福岡に落ち着いた。

それで今、新しい生活に邁進しているかというと、そうでもなく、割と今でも途方に暮れながら、自分のリアルを生きている。インドのことも忘れがちだけど、ふと気を抜くとインドの感覚が戻ってきたりして、なんだかホッとする。チャイを飲んで放心した感覚や、カニャークマリの夕日を見た気持ち、マハーバリプラム行きのバスからみた田園。なんであれたぶん、インドでなくても日本でも、本当はどこにいても、あることは許されていて、飲み込まれているのだ。良い事、悪い事、つまらない事、刺激的な事もぜんぶこねくりまわして呑み込まれてる。歩むごとに味わい深くなれ。生きることは例外なく面白い。



 

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