20.ニューデリー・帰国

ニューデリー
22:39ガヤー発デリー行き急行に乗り、翌朝9:55に到着。車中では、もう帰るだけなの何も心配せず色々思った。 クロークルームにバックパックを預けていたら、何か足にフワフワした物があたる。見れば子犬がくっついてる。温かい気持ち。

身軽になって、帰りのフライトまでデリー市内をぶらついた。まず、メインバザール。ごちゃごちゃして活気に満ちている。旅行者もたくさんいた。たぶん、ここはデリー・インの人たちが最初に歩く通りなんだろう。しかし私はすでに南インドを歩いてきるし、もう帰るだけなのだ。そんな訳で、悪徳旅行代理店が並んでても余裕だ。

しかし、すでに時は3月末。かなり気温も高くなってる上に、度重なる腹下しのせいで体力がなくてすぐに休みたくなる。2回WIFIフリーのカフェに避難した。帰国直後に空港で熱を測ったら高熱だったので、この時すでに発熱していたんだと思う。旅路で大活躍したコンパスも最後の最後でなくしてしまった。バザールで毛糸や神様のブロマイドと額装タイプ神様をゲット。路地をうろついてスカートを値切ったりもした。奥は迷路のようだ。

地下鉄でコンノートプレイスへ移動し、フルーツマートという店で黒胡椒やオーガニックのターメリック&クミンシード、紅茶などを購入した。もう荷物が増えるのを気にせずにお土産が買える。コンノートプレイスにはみやげ物通りがあるのだが、品物の管理も適当で値段も高くて、私は見るだけにしておいた。見るだけでも楽しい。


物売り少女との鬼ごっこ
日が暮れた頃、とぼとぼ歩いていたら、物売り少女にネックレスを押しつけられた。多分、10歳にも満たないのだろう。断ると、この2ヶ月間で様々な物売りから聞いた決まり文句のようなやつを芝居ッ気たっぷりにやり出した。もちろん、買うつもりもなく、その手にはのりませんよーと、歩きながら「いらない、いらない」と断り続けたのだが、諦めないでずーっとついてくる。仕舞いにはネックレスを私の首にかけようとしたので、こりゃたまらんと、小走りで逃げた。それまでは正直めんどくさい気分だったが、走り出したら鬼ごっこみたいになり、なんか気付いたら2人で笑いながら走ってた。私が先に横断歩道を渡ると信号が赤に変わった。「気を付けて!」と言ったら、ちゃんと彼女も待ってる。青になると、女の子は走り寄ってきて、すごい良い笑顔でにっこりすると手を振って、元気いっぱい帰って行った。バイバイ元気でね。私も手を振った。

あの子はまだ子どもだから、ネックレス売りも遊びと変わらない。これからずっと小物を売る日々の中で、段々走って笑うこともなくなるのだろうか。たくさんの物売り達の顔を思い出しながら、あの子の将来を思った。それでも、妙に嬉しくて、それは旅の終わりの感傷みたいなものだったかもしれないけど、ネックレス少女との鬼ごっこが2ヶ月の一番最後に私を笑わせてくれたことについて、インドそのものから不思議な答えを受け取ったような感じがした。少女は笑っており、遊んでいた。

デリーの地下鉄空港線
ニューデリーに戻り、クロークでずっしり重くなったバックパックを背負う。出来たばかりの地下鉄エアポート線で空港へ。エアポート線は駅舎からしてものすごく現代的で清潔だった。人もいないしなぜか無駄にエアコンまで効いてる。係員はホテルのベルボーイみたいに親切だった。自動券売機なのに係員が買ってくれた。無駄だなぁ。80ルピー。まあ、市バスが2ルピーの世界なのでべらぼうに高いと言えば高いのかもしれないが、そもそも、飛行機に乗れるのはそれなりに金のある人たちなので、大した値段でもない。何より悪質なリクシャーやタクシーにぼったくられる心配もなく、空港と市内を快適に行き来できるのだから、インド旅行者にとって空港線の開通は朗報だ。

ところが。21:50には空港に着いていたのに、搭乗&出国手続きだけで23:20になっていた(90分!)。ともあれ、予定通り0:35ニューデリー発香港行きの飛行機にのった。帰国。

日本人中年男性の態度に腹を立てる
香港空港からANAに乗り換えた途端に、日本的アトモスフィア〜空気〜が漂い出した。すなわち「自分さえ良ければあんたはどうでもいい」(by 藤原新也)なムード。おっさん!?普通、自分より奥に座ろうとしたら立つだろうに、意地でもテコでも動こうとしない。これがインド人だったらさっと立って、2,3人がかりで手荷物をしまう手伝いもするだろう。相手が外国人だろうと自国民だろうと男女問わず、だ。なのにどうだ。このスーツ姿の日本人は新聞を広げて恥ずかしげもなく私を無視している。このオッサンの醜さは日本人の醜さだと思った。なんか急に日本に帰りたくない気分が盛り上がった。

放射能汚染のこともふくめて、本当に帰国がものすごい憂鬱だった。できるならしばらくタイで旅を続けたかったが、家賃や飛行機のチケット代や体調や家族のことを考えると、帰国以外の道は見えず、暗い気持ちで日本に近づいていったと思う。香港空港の入管でもすでに日本からの渡航者は別ルートを用意されていた。日本は汚染されたのだ。2011、3月31日(木)20:55に羽田の国際ターミナルに着いた。節電中の空港はインドと同じように暗かった。

 

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