3.ムンバイ(2)
はじめてのおつかい
2/3は、1人で町歩きを実行することにした。もうのんびりしてられない!アシャやナランダに細々と心配されながら、私は昨日と同じルートでムンバイ中心地へ。右も左も分からない。でも行くしかない。まるではじめてのおつかいであった。1人で駅にいると早速物乞いの子ども達にまとわりつかれる。これこそインド。とTHEインドを感じつつも逃げる私。2.3分しつこく追われたが最後は子供らも笑って諦めてくれた。
さて、お目当てのチャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァツ・サングラハラヤ(長い…)、これは要するにインド美術や神仏像がおいてあるミュージアムで、そういうもの以上の何ものでもないかんじ。細密画のコレクションが楽しかった。インド・サラセン調の建築だそうである。綺麗。インド風な庭に日本の仏像が座っていたのは笑った。が、なんせくそ暑くて歩くのもやっとで、サングラハラヤの格子窓から椰子を眺めつつ、こんな調子で歩けるのかとため息ついた午後の一時。
サングラハラヤをでて地球の歩き方(以下地球歩と略)にあるFood inというカフェに行く。そこらに腐るほどあるチャイ屋でインド人まみれのチャイタイムする度胸がまったくなかったのだった…。フードインは外からみると暗くて陰気くさいが入ると清潔で居心地がよい。ただし客は外人ばっかり。ここでiPhoneからメール送信などした。
さっそく大問題発生
というのも、3日目にしてすでに問題が発生していたのである。それはつまりこんなことだ。初日にアシャから荷物運びを頼まれた。日本で出稼ぎ中の次男サーチン君へおみやげを届けて欲しいとのこと。お世話になるし気持ちも分かるのでOKしたところ、当初の量(手のひらサイズ)から毎日増えること増えること。3日目で縦横30cmにはなったろうか…。私は運び屋ですか?これもって2ヶ月放浪するのか??最初のあれはなに?詐欺?と憂鬱に。このまま放置すればもっと増えるし、一度OKした以上断れない。恩もある。それにしてもやっぱりインド人はずうずうしい。などとぐるぐる悩み、彼女を紹介してくれた人に相談メールをしたというわけ。結局返信で「ごめんなさい、彼女にはよく言っておきます。」と来たのでホッと胸をなでおろした。
インド人女性のファッションについて
翌日2/4はアシャとインド服(サルワール・カミーシュ)を買った。…ちなみにこの時点では荷物の件はまだ伝わってない…
荷物軽減のため、くそみたいなくたびれTシャツとタイの農民パンツしかもっていなかったのが、アシャには不思議だったようで何度も理由を尋ねられた。インド人女性にとって身ぎれいにすることは大事らしく、こきたない私を不憫かつみっともなく思ったのだろう。とにかく、インド人女性はおしゃれである。日本人もそうかもしれないが、人によりけりな所が大きいし、ファッションも多様だが、インドではあまりバリエーションがない。老いも若きも民族衣装とバングル、髪飾り。進歩的な若い娘がジーパンをはくのも時々みたが、基本的にサリー&サルワール・カミーシュ(パンジャビドレス)だ。
おかいもの
そんなわけで、アシャにつれられ郊外列車でアンデリ駅へ。ごったがえす人混みを縫うようにして既製服をさがす。こちらではもっぱら服は布から買い、仕立て屋に頼むのが一般的で、プレタポルテはあまりないのであった。どうにか露店で2着手に入れる。インディアンパンツ一つ300円。安いがそれなりの仕立て。
帰り道に菓子を買う。教えられたインド菓子の名前を確かめるつもりで、あれ〜だよね?と話しかけたらいらないっつってんのに買ってくれた。これが後に災いをもたらすとも知らず…
その夜、どうやら例のおみやげ事件の話がアシャに伝わったらしい。ものすごい形相かつ大声で息子にどなっている。ベンガル寅か。息子を叱っていると言うより、憂さをはらすような具合で、流石に私に直接言ってくるつもりはないようだが、どこかこれ見よがしなのであった。心優しきナランダはいつもの事だという風にうるさそうに対応、私はあーあと耳をふさぐ。
そして翌朝、超絶不機嫌なアシャさん。そしてすでにかなりインドにやられつつある私の胃腸と精神。なにもかもが一触即発であった。
モスキート地獄
というのも、今まで書かなかったが、インドの夜は死ぬほど蚊がでるのである。しかも、インド人よりアジア人の方をより好むらしく、あきらかに私が集中攻撃をうけるのだ。部屋に蚊が1匹でもいると寝られないタチの私にとって、インドの夜はハードだった。持参のキンチョール蚊取り線香と虫除けスプレー&全身に布をかぶせる、までしても確実に20カ所はやられた。一晩で20カ所だよ!?まさにモスキート地獄。
その上、エアコンなどという高級品は金持ちにしか許されてないので、めちゃくちゃ蒸し暑い。暑いけれど蚊がくるので布はどけられぬ、でも暑くて寝られぬ。おそらくアショク家で安眠できたのはモスキートがいなくなる朝6〜9時の3時間だけであった。そんな状態であれが…
恐怖の毒だんご
2/5,ベンガル寅のようになってしまったアシャがにこりともせず、超無口のまま朝食を作ってくれた。息子の上司に頼まれた客だから仕方ないが忌々しい厄介者め、とでも思っているのだろうか?メニューはインド風ブレックファスト「Poha」。ひよこ豆を大量の油で炒めて平たくつぶした米を入れたもの。これプラス昨夜のだんごが出てきた。
あぶら物に弱い上、モスキートやスパイスに弱り切ってた私は食欲もなく、それでも出されたらありがたくいただく精神で完食、最後にだんごをかじった。ふと見ると、かじり口にエメラルドグリーンの点々がある?そう、青カビである。食パンとかについている例のあれである。がーーん。すでに飲み込んでしまった。おどろいた私はアシャに「これみてよ!」と青カビを見せた。すると一度はむしり取ったものの、ぐいっと私に突き返して「これはカルダモン!食え!(eat!)」と冷たいお顔。食えとな!
これが子どもの目を焼いて物乞いさせるインド人の残忍さか…(参考:「スラムドッグ・ミリオネア」ムンバイが舞台です)と唖然としつつ、トイレに流した。その十数分後に来た。下痢がきた。十回以上トイレとベッドを往復し、インド式トイレは自然と習熟したが、力は抜けて行く一方だ。下痢、熱、咳。最悪の体調であった。
リビアの聖体拝領パーティ
そんな状態だったのに、夜にパーティーがある予定だったのだ!! 実は。アシャの元隣人リビアちゃん一家はキリスト教徒で、その初聖体拝領式を祝うパーティに招待されていたのだった。。インドでは結構キリスト教が流行っている。毎日アシャの友人やら隣人に「ジスイズマイフレンドフロムジャパン」と紹介されまくっていた流れで、自動的に招待された具合であるが、私がゆかねばアシャの顔が立たない。そんな事情があり、あきらかに体力的に無理だったにも関わらず、アシャは例のベンガルタイガー調に「今日のパーティ行くわよね」と無表情。心優しくも、徹底的に気が弱いナランダが無理するなよ、大丈夫なの?と心配するも怒鳴るアシャ。完全に修羅場である。鬼や…あんさん鬼やで……。と力の入らないままぼやーと考えたが、リビアちゃんは可愛いので彼女のよろこぶ顔みたさに下痢腹にムチ打ち、パーティに参加することにした。だが、パーティ中は動くこともできず、見るだけ状態。さそわれてダンスもしたがすぐさま下痢が…。
アシャはアシャで何だかんだと命令してくる。何度も「すわれ!(sit down!)」とか、私はあんたの犬なのかえ?と。
荷運びもできない厄介者の異邦人がそんなに憎いかえ?腹に力が入らないし、世話になっているのは感謝しているので,日本人的に控えめにして、この屈辱を受け入れていたが、とにかく体調も精神も最悪だった。恩人に悪いが、なんどこのクソババア!と心でつぶやいたことか。
しかし、そんな私の控えめ精神が逆に作用してしまったのか、アシャはこんな体調最悪の私を追い出そうとしてきた。パーティで見せびらかせたからもう用済みという訳だ。インド人は怖いなぁ。翌日のアウランガバード行きのバスチケットを手配したというではないか。さすがの私もかっちーんときて、ガイドブックやら会話本をガシガシ叩いて、体調が悪いから動けない!!!と主張、するとアシャは驚いて、急に「私主人と年の差夫婦だったのよ(にこり)」とまっったく関係のない話をし始めてとぼけるではないか。あきれた。このクソババ!!!
前回のインド旅行でもインド人のずうずうしさと自分勝手振りに心底腹が立ったが、今回も1weekで出くわしてしまった。「ちくしょう」的な具合に「shit!」とつぶやかれると流石に心も冷えるというものだ。こんな関係になってしまったので、別れる時もウルルン旅行記みたいな感動はまったくなく、あっさりしたものだった。
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