14.マハーバリプラム
〜あまりの暑さに頭痛〜


震災で動揺する旅人
バスの車掌さんから日本の大地震のニュースを聞く。心配の塊になりつつ、夜7時頃にマハーバリプラムのバス停に着いた。すぐにネットカフェを探したけど見つからない。道を尋ねたらインド人がモバイルでニュースを見せてくれた。現地語で読めなかったが、東京は大丈夫らしいと説明された。とりあえず宿を探しに中心部にむけて1キロ歩く。

田舎なので夜空は一層黒い。サンダルでとぼとぼ歩くと下弦の月がついてきた。中心部についたら牛、牛、牛のオンパレードで、もうほとんど牛小屋のようだった。街の人達は旅行者慣れしていて、見るからに日本人の私に、心配そうな顔でSTUNAMIがどうのとか、家族は無事かい? とか話しかけてくる。今思えば2004年スマトラ沖地震による津波でインド・タミルナードゥでも多くの犠牲者が出ていたので、他人事とは思えなかったのだろう。驚くほど道々で哀悼の意を表された。

ラーマクリシュナという安宿(200ルピー)にチェックイン。受付でオヤジさんと共にTVをみたら、田んぼにドーッと水が入り家も車も何もかもがめちゃくちゃになっていた。とても信じたくなくて泣いた。東京みたいなビル街でも壁が落ちたりして、正直インドよりもボロボロだ。いったい何が起きたのか。その直後に母から家族無事メールが届いて、一応ほっとはしたが、不安を共有できる人が側におらず、孤独感にさいなまれた。日本人に会いたいと切に思った。

近所の食堂で夕食にオニオン・オパッタム(インドのお好み焼き)を食べてから、宿に帰ると、宿の1階にある雑貨屋の店長から話しかけられた。カシュミール地方出身というので、5年前に旧カシュミール王国の王子様に会った話をしたら、あなたはラッキーだよと喜んでいた。かつてはマハーバリプラムもヨーロッパや日本の観光客で賑わっていたが、今は客の60%がロシア人だと言っていた。商品を勧めるでもなくおしゃべりを楽しむ、随分余裕のある男だった。この街の雑貨屋は、ディスプレイが「むげん堂」っぽくて懐かしかった。

 

サイババをみるかどうか悩む
ところでサイババである。インドにきたら、カレーを食べて、タージマハールを見て、アーユルベーダの施術を受けて、ブッダの史跡を訪ね、マザーテレサのところでボランティアをして、アガスティアの葉を検索して貰い、ヨガとレイキのレクチャーを受け、聖なるガンジスで無常を感じるのが日本人的インド満喫方法なのだが、サイババに会うのも結構有名な「それ」の一つだと思う。

なので、地震のニュースを知る前までは、「サイババが私を呼んでいるので会おう☆」と考えていたのだが、それよりも何よりも日本人に会いたくて仕方なくなってしまった。心細かったのだ。とはいえ、せっかく近くまで来たのだし、インドのタミル地方に又来れるのかも分からない。インドの聖人を目撃するチャンスと言えばチャンスではある。一晩あけて朝、ネカフェで1時間悩んだ。

そして、どうやらサイババの前ではサリーを着なければならないという情報を見つけ、それはちょっと手間だな、とテンションが下がった。他にも色々規則があるようで、サイババに呼ばれて来たはずの私だったが、考えた末に行くのは辞めた。当のサイババはこの約1ヶ月後に亡くなったので、仮にこの時プッタパルティのアーシュラムへ足を運んでたとしても、会えたかどうかは分からない。

日本人やヨーロッパ人に人気の高いサイババだが、インド人にはうさんくさいペテン師と思われているようだった。あのアフロヘアの男は偽物でシュリ・サイババこそが本物の聖人なのだと、ややチンパンジーに似た風貌のお爺さんの写真を度々見せられたものだ。サイババは聖人だったのだろうか。お布施されたお金で病院を何個も作り、無償で人々に提供しているとか、教団内で数人死んでいるとか、物質化された時計はmade inチャイナだったとか、色々な噂は聞く。私にはよく分からない。もうこの世にいなくて、もう会えないという事だけが確かだ。サイババ印のお香「ナグチャンパ」は大好きなので、これはずっと作り続けてほしいなと思う。

 

海外で震災を経験するということ
祖国が大変な状態なのはネットやTVやインド人から嫌と言うほど伝わってくる。原発が爆発して第2のチェルノブイリだとインド人が騒いでいた。SNSで震災時の生々しい日記を読むにつけ、不安と、当事者でないことの疎外感で二重に辛かった。日本からつながる精神的な「ヘソの緒」がぷつりと切れて、まったくのひとりきりでどこかに放り出された気持ちがした。

 

マハーバリプラム観光
それでも、今の自分には観光するしかないではないか? という訳で、盛り上がらない心をかかえたまま、うわの空の観光をした。クリシュナのバター・ボール、アルジュナの苦行、世界遺産・海岸寺院、1つ岩から掘り出された古い寺院ファイブ・ラタなどをみた。

 

 

 

 

海岸寺院では、コーチンの悪夢のゲストハウスにいたイタリア人爺さんと再会するというひと幕もあった。しかし、なんせおそろしい程の気温で(すでに日中は40度くらいあったろう)、ふと気付けば熱中症になっており、夕方からひどい頭痛と吐き気でダウンした。安ホテルの隣人(白人男)は慣れた物で、日中は1度も外に出ず、テラスでのんびりペーパーバックなど読んでいた。実際、現地人も11〜16時頃まであまり外出せず、部屋ですごしているようだった。野良犬や野良牛だって寝ているのに、歩いているのは何も知らないアホな観光客くらいだ。

夜中、人生初の南京虫にやられる。1匹。隣人のいびきと虫と頭痛で寝られず。

 

 

青マンゴーの切り身マサラパウダーがけ10ルピー
マハーバリプラム3日目の朝、また変な巨石クリシュナのバター・ボールを見に行く。

そこの屋台に、青マンゴーの切り身マサラパウダーがけがあった。非常に美味。まさかこの20円ばかりの切れ端が、ゴアのフィッシュカレー、クンバーコーナムのミールスに並ぶ、今回の旅3大美味の一つとなるとは。爽やかな青い香りとほどよい塩&スパイス。たくさん食べられる味ではないが、忘れ難い味である。あと、Mamalla Bhavanという1959年から営業している食堂で特別定食をたべる。何となく古い大学みたいな雰囲気だった。

 

ネカフェで日本の様子を探るうちに、いてもたってもいられなくなり、プリーの日本人宿(日本人がたまる安宿)にゆくことにした。エアコン付きの清潔なバス、といっても日本の普通のバスと同じレベルだが、これに乗り、寝不足と頭痛と不安でへろへろのまま、次なる街・南インドの大都会チェンナイを目指す。


 

13.ポンディチェリー←  → チェンナイ