15.チェンナイ
〜クリケット〜


インドの4大都会の一つチェンナイ(マドラス)についた。目に付いたホテルにチェックイン。体調不良というのもあるけど、だんだん宿探しもいい加減になってきた。そこも、いつも通りの蚊だらけホテルだったが、日本のビジネスホテルみたいに石鹸とベープマットとタオルのアメニティはあった。ただし、安眠には何ら貢献しない。

チェンナイについては特に何も書く事がない。一日しか滞在していない。バスの窓からクリケットにいそしむ人々をみたくらいか。ここはなんだかクリケットで盛り上がっていた。クリケットは日本人にとっての野球と同じようなものらしい。植民地の宿命だろうか。スポーツに興味がない自分にはよく分からないが、インド人が長い板で球を打っていた。やたら長時間やるスポーツで、ラジオ中継も一試合で半日も放送していて驚いた。この気の長さ。

 

ハンサム・ポリス
10時までホテルでごろ寝してから、歩いてエグモア駅まで行った。もう、頭の中は日本人宿しか無い状態。切符カウンターでまごついていたら、若い中国人女性ビッキーさんが助けてくれた。遠距離列車カウンターは別だった。彼女、チェンナイに何週間かステイしているという。小柄で明るくてパワフルで早口だった。ありがとう。ところが当日切符は全滅。窓口のおじさんがセントラルステーションの外国人専用カウンターなら外人枠が残っているかもしれないと教えてくれた。去り際に「あなたの旅に幸あれ」と言われた。紳士的な街だ。

ところで移動中に良いことがあった。道をたずねたポリスが目の覚めるようなハンサムだったのだ。さすがにポリスを激写するわけにもゆかず写真はない。インドではやや小太りなタイプがもてるみたいなので、彼はその基準からははずれていて、もしかしたらもてないのかなと思った。でも日本や欧米だったらモデルレベルのスタイルの良さとスイートフェイスでめちゃくちゃもてるだろう。ベージュの制服と帽子が浅黒い肌によく似合っていた。こんな美青年がインドの雑踏でポリスじゃもったいないな、と思った。

さて、外国人ツーリスト専用カウンターに着いたら2人しか待っていなかった。なので、10分もしないで切符が買えた。奇跡。エアコンも効いていて天国のようだ。だが、ここで一つ失敗をする。残っていた当日切符がエアコン付き寝台の広々(2A)かエアコン無し寝台(SL)の二択で、ちょっと悩んだ末にSLを選んでしまった。購入後に切符をよくみれば23:40発の翌日20:25着とある。21時間も乗りっぱなしなら、2Aにすべきであった。震災やら体調不良で、インドがとてつもなく広いのを忘れていた。

地獄の三等寝台21時間
チェンナイから次の街ブバネーシュワルまで列車で約1223キロ、時間にして約まる一日かかる。この馬鹿長い乗車時間と、そこまで旅慣れない自分の経験値を考えたら、もう絶対1等もしくは2Aにすべきだったのだ。魔が差したとしか言いようがない。

しかも、悲しいことに乗り込む車両を間違えた。親切な青年が本当の席まで連れて行ってくれたが、これがひと仕事だった。通路にも連結部にもインド人がぐちゃっと詰まっているSL車両を移動するのは、ちょっとしたスポーツ?である。人間を踏まないように気をつけながら、ひっぱられたり引っ張ったり斜めになったりしゃがんだり、大汗かきかき、人体ジャングルを抜ける感じで四つくらい車両を渡った。

で、やっと到着してみれば、私の席に誰か座っている。貧しげな老人・男・子どもの3人だ。むすっとした顔である。案内してくれた青年の通訳によるとウェイティングリストでOKだったから乗っているのだという。確かに遅れた自分も悪いのだが、キャンセルの連絡もいれてない席のウェイティングが出発後にOKになるのを見越して乗車するのも変ではないか。うさんくさい。それに私もどのみちその席にしかいられないし。

シーク教徒と居座り爺の問答
まるで話が通じず困り果てながらも、ここで負けてはならじと、踏ん張って自分のスペースを確保した。親切青年と居座り爺がまだ話している。向かいに座っていたターバンの初老紳士が見かねたのか、会話に参戦してきた。シーク教徒らしく、じつに根気よく居座り爺と言葉の応戦を始めた。英語ではなくて2人が何を話しているのか理解できない。私が物を言おうとすると、シーク教徒紳士は無言で手を振り「あんたはそこで座っていなさい」とうなずいて、私まったく出る幕なし。暇な乗客たちは面白そうな顔で集まって、何だかんだと口をだしていたが、あまりに長々と両者1歩引かずの状態(予想)が続いたので、やがて飽きて散っていった。喧嘩というよりは問答なのだった。インド人は昔からこうして問答してるのかなと、他人事みたいに思った。

結局、老人一家は移動しなかった。私の足元に子どもが座り、床には男と爺、みたいな具合に窮屈にすごす。そもそも一つの席に3人で寝る気だったのかよ!であるが、気付けば8人用の席に自分含めて15人いるのだった…。これがスリーパークラスか、Theインドか。長澤まさみの映画『ガンジス川でバタフライ』だとここで現地人とコミュニケーションが弾んで家に招待されたりするのだが、しかし、当然、居座り老人一家と心温まる楽しい交流など始まるべくもない。それでも時々、向かいの席の子どもたちとおしゃべりした。日本の写真を見せてとせがまれたのでiPhoneのアルバムを見せた。何てこと無い近所の写真だったけれどすごく喜んでくれた。

それにしても老人一家とは終始無言の戦い状態だった。仮に、彼等をどかしたとしても、彼らの行く先を思うと気の毒で強くは言えず、かといって自分が二等座席に移動するのも嫌で腹が立ち、心中の葛藤がものすごかった。インドは終始この調子である。同情すると流されて被害はなはだしく、一方同情しなければしないで罪悪感。そんな感じの21時間であった。この時はほんとうに疲れた。


 

13.マハーバリプラム←  →16.ブバネーシュワル