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17.プリー(2)

3日目は海辺にいってみた。
プリーのビーチは空も海も砂浜も広くて大きい。タゴールの詩の一節を思わせた。
はてしもない 世界の海辺に 子供たちが あつまっている。
無限の大空は 頭の上でうごかず
水はやすみなく みだれ さわいでいる。
はてしもない 世界の海辺に 子供たちは あつまり さけび おどっている。
ー後略ー
(Rabindranath Tagore「ギタンジャリ」高良とみ訳)
日傘で強い日差しをさえぎりながらタゴールの世界にひたっていたら、ナンパ男にはりつかれた。日本人女とのメイクラブの思い出まで語る非常に不快な男だった。いくら言っても離れないので結局ビーチから立ち去るはめに。それにしてもナンパ男の語ったストーリーは本当なのだろうか。本当に日本人女達はあっさりインド男にたらしこまれていて、自分も知らぬ間にそういう目で見られていたのだろうか。かなり憂鬱になった。

プリーで出会った日本人
ロッヂで夕食「肉カレー」を食べた後、大阪から来たというナオミさんとおしゃべりした。神様ブロマイドやインドの記念切手などを見せ合う。職業が似ていたのも嬉しかった。来ているインド服が可愛いので聞いたらオーダーメイドだそうだ。イラストレーターでもあるナオミさんはとにかくセンスが良かった。インド産のハデ色毛糸で作ったボンボンをひとつもらう。作り方を聞いたので後日デリーで毛糸を買って自分でも作ってみた。
旅と”ちんぼつ”
プリーには結局、一週間滞在した。旅の疲れがたまりにたまっていたし、震災原発事故のニュースで心細くもあったし、快適な日本人宿サンタナロッヂはとてつもなく居心地が良くて、なんとなく毎日をすごしているうちに、一週間たっていたという感じだ。これをいわゆるバックパッカー用語で「沈没」という。
知らない人のために説明すると「沈没」とは、旅行中に観光もせず安宿でダラダラ非生産的な毎日をすごして抜けられなくなる状態の事だ。海外旅行は何かと刺激的で毎日楽しいけれど、長くなるとやっぱりどうしても疲れてくる。そんな時に、一日数百円の宿代で、会話を楽しめる人もいて、せかす人がいない場所に出くわしたら、どうなるでしょう?
そう、「ちんぼつ」する。進んでいた船が沈んで海底でシーンと動かなくなるように、旅人は旅をせずその場にとどまり浮かび上がれない。まあ、でもこれが旅なのかもしれない。自分の場合、たかだか1週間だけどプリーで充分「沈没」の気分を味わった。
沈没人間の一日をご紹介
蚊とか何かで寝不足のまま、スタッフが部屋に運んでくれるチャイで目がさめる。朝食の後、部屋でだらだらと本を読む。(今度は夢野久作の『暗黒大使』と宮城の詩人尾形亀之介)昼前に穴蔵から這い出して、近所をぶらつく。海に足をひたしたり、ランチをとったり。暑すぎるので早々にロッヂへ帰り、くつろぎスペースで海風に吹かれつつ、おしゃべりや読書に興じる。すると午後のチャイが運ばれてくる。そいつを引っかけてダラダラしてると、もう夕食の時間である。食堂でみんなと楽しくカレーを食べて、食後はサンタナ名物「プリン」でしめる。部屋にもどり、洗濯+シャワー+部屋にいる蚊を始末+蚊取り線香のセットをして、蚊よけクリームを手足顔にぬりたくり、頭の上からつま先まで布にかくして就寝。
だいたいこんな感じで毎日がさーっと過ぎ去る。

ホーリーに参加して新聞に載った
プリーに着くまでは、震災や原発事故の情報共有しか頭になかったが、サンタナの宿泊客は案外のんきで、そもそも日本がどんな大変な状態か知らない人の方が多かった。気がそがれてしまった。そんな感じで、これまでの反動のように沈没を楽しんでいたら、いつしかお祭りの日がきた。
ホーリーである。春の訪れを喜び祝うインド3大祭りの一つ。毎年3月20日前後にインド全土で行われる。年齢カースト性別関係なく色水やら粉やらを投げつけ合う、有名なTHE無礼講祭り。日が近くなると路上でカラフルな粉が売られるようになる。
例えば、デリーなどの大都会でホーリーにでくわすと、痴漢や怪我の危険があると聞いていたが、プリーのそれは比較的のんびりしていると言われたので、泊まっている数人といっしょに私も参加することにした。当日は全身汚れても構わない服を来て、用心のために日本人で固まって町を歩いた。
実際歩いていみれば、10mごとに「ハッピーホーリー!」のあいさつをして色水を浴びせあい、粉を塗りたくりあうようなペースだった。予想では、一日中の鬼ごっこだったので、お行儀の良さに驚いた。私たちが外国人だから遠慮しているのだろうか(日本の大震災をしっているだろうし)。インド人も町中参加している訳でもなく、若い男性が中心だった。
それでもみんなすぐに原型をとどめないくらい、お化けのごとき色合いになって、進むごとに変身する様を互いに笑いながら、ターゲットを探した。1時間ちょっと歩いた。真っ白いポロシャツ姿のおじさんなどは、色水をかけられないように真剣に逃げていた。路上で盛り上がってダンスが始まったりもした。
やがて浜に出て、インド人にまじって体を洗った。顔料はとても体に悪そう。いくら海水でこすってもとれなくて黒人みたいな肌のままである。側にいた女の子に石鹸をもらったけど、それでもとれない。洗う最中もお祭り騒ぎで、みんなキャーキャー言いながら体を洗っていた。
広い空の下、大きい浜辺で午後の日にてらされて笑う人々の姿はまさにこれだった。
〜はてしない世界の浜辺で子ども達が集まっている〜
まったくもってギタンジャリだったなぁ。にしても、タゴール最高だなぁ。
宿に戻って、屋上で記念撮影をした。その後ドドメ色に染まった体を洗ってから新聞記者の取材を受けた。「日本人がホーリーに参加した。祖国でおきた大震災の悲しみをいっとき忘れて楽しんだ。良かった。」みたいな内容の記事が、屋上の写真と共に、後日地元紙に掲載された。

スーリヤでミトゥナ(男女交合像)をみた
隣町のコナーラクにも足を運んだ。愛ちゃんという明るいスレンダー娘と共にスーリヤ(太陽)寺院を見た。寺全体が一つの馬車に見立ててあり、車輪の意匠が沢山あった。仏教のマークの法輪そのまんまの形である。スーリヤ寺院、建設当時は途方もなくでっかかったそうだが、今では主要部分は風化して壊れており、内部には石がつめられてて中にも入れない。それでも、ミトゥナ像は見応えがあった。ミトゥナとは男女が楽しそうにセックスをしている像である。なんで神殿にエッチなものをつけるのか疑問だったが、インドの炎天下で実物をみてみれば、それは生命力の原始的な賛歌なんだなと凄く納得した。
 
スーリヤ寺院の近くで土産物を物色した。椰子の皮細工屋で1mもある動物の人形を買おうか迷ったり、愛ちゃんが店のオヤジとギリギリの値段交渉をしたり、キュウリのマサラパウダーがけや椰子の実ジュースなどを飲み食いしたりした。楽しい1日だった。愛ちゃんはこの後、米国留学の予定と言っていた。本当にインドには色々な人が来ている。日本人は比較的ひとり旅で、西洋人などはカップルが多い印象だ。
そんなこんなで、楽しき沈没の日々だったが、帰りの飛行機チケットまで残り10日を切ったので、次の大都市コルカタへ移動することにした。
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