2.ともあれ出発
準備は手探り
国内の個人旅行は慣れたものだが、海外のそれは本当に初めてなので、右も左も分からない状態。とにかく、インターネットや個人旅行者の紀行文をあさり情報を集めた。入国時にトラブルが多発するとの事なので、空港からの送迎は前回インド旅行で世話になった人の知人に頼んだ。あと、持ち物には直前まで悩まされた。バックパッカーも初めてのことだし、普段からインドアというのもあり自分がどれくらい持てるのか見当もつかない。なるべく軽くしたものの、それでも10kgにはなってしまった。(持ち物リスト)
早朝出発
1月31日の早朝、まだ暗い時間に家をでる。行く先が灼熱の国インドなのでコートなど着込むわけにもゆかず、Tシャツや上着をアホのように何枚も重ね着した状態である。それでもむきだしの手は真っ赤になった。とても寒い朝であった。
羽田空港8:30発、香港トランジットのムンバイ24:20着のチケットだったので、まず香港。ここからもう海外なんだ!と思うとあまりのアウェイ感にぼんやりしそうだが、トランジットもうかうかしてると失敗するので、とにかく、たどたどしい英語を駆使して係員に聞きまくる私。香港空港は綺麗で出入国カウンターの兄ちゃん姉ちゃんまで笑顔かつ美人なのだが、いかんせん大気汚染がはんぱなかった。常に排気ガスの香りがただよい7時間の滞在でも鼻毛が伸びそうだった。出発まで、とりあえず出国してぶらつくことにした。香港のガイドブックなど(重たくて持ち歩け)ないので空手のまま、エアポートエクスプレスという特急で外へ出る。海を見ながらこれからの二ヶ月に思いを馳せたりした。
香港の闇とアンデス
ショッピングビルと海辺を繋ぐ歩道橋に2人物乞いがいたのだが、2人とも顔が凄まじくケロイド状にくずれていて、怖すぎた。何なのだろう。スネークヘッドなどを思い出す。世界は怖い油断ならぬと思った。その先ではどこにでもいるアンデスバンドが海を背に、もの悲しいアンデスミュージックを奏でている。しかし、日本で耳にするどのバンドよりもずっと上手で驚く。

インド人ばっかり
そんなこんなで夜中の24:20ムンバイに着く。当たり前だがついた時「インド人ばっかりだ」と思った。空港内は照明が少なくて暗くて、空気がムッと暑い。荷物を受け取り外へ出るとすごいひとだかりがこっちを見ている。手に名前を書いたプレートをもっている人が多いので、自分の名前をさがした。やさしそうな青年が「DAMURA AKIKO」という紙を掲げていた。微妙に間違っている。早速インドが始まったと思う。こんな夜中に4人も出迎えに来てくれて、感動するも、車から見える外の風景と度々車を止めてくるポリスにびびる私。とんでもない所へ来てしまった感がつのる。ポリスは何度も難癖をつけて金を請求している。ずたぼろの道、ずたぼろの家々、もちろんコンビニも自販機もないし、街灯が少ないのでなんとも薄くらい。生きて帰れるのか?
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